目は意識を形造る重要なものなのか、物事の捉え方も意識的。
ふつーの状態では視点は次々と入れ替わって世界を見る
ふつーでない状態は視点が定まって移ろわず、狭い見方になる。視野狭窄というべきか。
心の中で意識というものは「浮島」のようなもので、あちこち移ろってパトロールするのがその本分だ。
そして視野狭窄は心の世界にもある。
少ない数の物事を考える事に固執し、広く物事を捉えられない。まさに、心の視野狭窄。
っと、こういうくそ真面目なお話をしたかったのではなく今回は犬のウ〇チ取りのお話。ウチは犬ぞり屋さんなので何頭も犬を飼っている。なので、ウ〇チ取りもひと仕事。
最近思うのは目で探すことよりも踏むことのナント多いことか。
たぶんおいらは人一倍踏む方かと思うけれども。
ここで上述の視野狭窄のことなんかを考えてしまう。脳みそと目は連携していてウ〇チ取ること、日常のこといろんなことでいっぱいいっぱいになり、結局は目の前の枯れ葉にまみれたブツを探すことが出来ない。
その反面足は盲目でしかも身体より少し飛び出ているため気づくのが目より早い、
…だからいっぱい踏むんではないか?
運がつくというし、おしゃれ履きをしているわけではないのでいーのだけれど。
ここで一曲。